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下田歌子賞

最終更新日2016年4月24日

概要・目的

下田歌子賞は、平成16年(2004年)の下田歌子生誕150年を迎えるに当たり、下田歌子のふるさとの旧岩村町(現在の恵那市岩村町)が岐阜県、実践女子学園とPHP研究所の協力を得て、下田歌子の業績を顕彰しつつ、エッセイ募集を通して、人の生き方や教育の在り方などを共に考え、学ぶために設けた公募賞です。
平成15年(2003年)度の第1回募集以降、毎年全国各地から多数の秀作が寄せられています。

内容

エッセイと短歌を募集する公募賞。

下田歌子の紹介

わが国女子教育の先駆者で、歌人としても名高い下田歌子は、安政元年(1854年)美濃国岩村藩(現在の恵那市岩村町)に生まれました。幼い頃より和歌を詠み、漢詩を吟ずるなど学才に恵まれ、明治4年(1871年)16歳のとき父の後を追って上京。翌年宮中に女官として出仕し、その和歌の才能を愛でられた皇后陛下(後の昭憲皇太后)から歌子の名を賜りました。
明治12年(1879年)に宮中を辞した後、自宅に桃夭学校を開設して女子教育に力を注ぎ、明治18年(1885年)に創立された華族女学校では学監兼教授を務めました。2年余の欧米女子教育視察を経て、明治32年(1899年)に私立実践女学校(現在の実践女子大学)と女子工芸学校を創立しました。その後も、女性の自立自営をめざして、裁縫学校や夜間学校を各地に設立するなど、新しい時代の女子教育に一生を捧げ、昭和11年(1936年)82歳の生涯を閉じました。
下田歌子が遺した言葉「女性の清らかな徳性と豊かな情操をもって社会の幣を正せ」や「揺りかごを動かす手が世界を動かす」に代表されるように、下田歌子は高い志を持って近代日本の女性の地位向上に力を尽くしました。

下田歌子賞の作品応募

下田歌子賞の作品は、恵那市文化施設情報「文化の窓」のウェブサイトで毎年募集を行います。




 

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