ゆったり かいてき 恵那のくらし

よくある質問
移住実践者の声 山口 岳志さん(山岡町)1
  • 山口 岳志(やまぐち たけし)さん(山岡町)

1962年生まれ。岐阜県岐阜市出身。現在、山岡町在住。岐阜県立加納高校美術科在籍時から絵の道を志し、卒業後は叔父の看板屋で下積み修行を開始。懸命に数々の仕事をこなし、夢だった世界の芸術家が集うアメリカ・ニューヨークに辿り着き、イラストレーター&画家を目指す。その後、東京に居を移し結婚。個人デザイン事務所に弟子入りして半年でイラストレーターとして一本立ちを果たし、後に会社を設立。時がたち、ゆとりある生活を求め、東京から鎌倉を経由して、2000年ごろに家族で恵那市山岡町に移住。現在もアーティスト&デザイナーとしてフリーで恵那市内で活躍。山岡町のまちづくりにも参加。山口さんを一言で表現するなら・・・長良川と岐阜城を見ながら育ったような人間。友達と遊ぶこと、絵を描くこと、何かを作ったり楽しい事が大好き。

山口 岳志さん(山岡町)

 

移住実践者の声 山口 岳志さん(山岡町)2

 

(Q)恵那に移住したきっかけは何ですか?


(A)高校を卒業して、地元の叔父の看板屋で仕事をしていたんですが、やっぱり外が見たくなったんです。まずアメリカ・ニューヨークに行きたくて(笑)。何とかお金をためて、アメリカ・ニューヨークにたどり着きました。そこで職探しをしたり、イラストレーターや画家を目指して売り込みをしました。とにかく、見てみたかったんです。行ってみたかったんです。でも英語が苦手でさっぱりでした(笑)。その後、岐阜市に戻りまして、数年、友達の事業立ち上げを手伝ったり、さまざまな仕事をしたりしてお金をためました。でも、やっぱりイラストレーターとして一本立ちしたいという思いが強くて、20代中盤くらいの時に今度は上京しました。

 

何とか人の伝手で個人デザイン事務所に弟子入りできまして、運良く半年で独立することができました。合計、東京で11年ほど仕事をしてましたか。30代に入って、いよいよ仕事も順調になってきた頃に有限会社を立ち上げて、スタッフも数人雇えるようになりました。岐阜から一緒に付いてきた現在の妻と結婚して、子どもも生まれて、家も車もあったし、仕事にも恵まれて、本当に何不自由ない生活を送っていたのですが、「本当にこれでいいのか?」と思い出したんですね。そんな時、海外旅行でインドに行く機会がありまして、あのマザー・テレサにお会いする機会があったのですが、それがきっかけでしたね。今の日本は心の大切な物を無くしているように感じました。何かが違うぞ?と・・・毎日、何十時間も休み無く働いてお金を稼いで、そして、そのお金でたくさんの物を買う・・・いわゆる消費社会ですか?そして常に誰かを意識して、誰かと比べて生きていかなければいけないような雰囲気・・・これも競争社会でしょうか? とにかく経済優先の生活を切り上げたかったんです。自分の中でたくさんの葛藤がありました。もう限界だったんでしょうね。そのような生活に・・・それで自分自身の生き方を変えようと思い、いろいろな物を手放すことにしました。まずは会社も小規模にして、スタッフにも独立してもらいました。その後、車も手放して、生活基盤もより落ち着いた環境を求めて、住所を東京から鎌倉に移しました。鎌倉で3年ほど暮らしたのですが、しかし何かが違うんですよね(笑)。元々、自給自足的な自然暮らしがしたいという思いが強かったですし、子どもも育ってきて子育てがしやすい所、もっと家賃が安くて自然の中で生活できる所。それ以外にも人と助け合って生きられるような所がいいなぁと・・・真剣に移住を考え始めて、そのような場所を探すようになりましたね。

 

そんな時に偶然、友達が恵那市の岩村町に別荘を持っていて、そこに遊びに行ったんですよ。一瞬で景観にひかれましたね。優しい景観なんです。里山的な。自然の景色がとても柔らかいんです。岐阜市に住んでいたので岐阜県下の近隣地区に関しては少しは知っていました。郡上や高山辺りは切り立った山。厳しい景色というイメージがあって、恵那はそれとは違う景色なんです。実家が岐阜市にあったので、当初はその周りで移住地を探しましたが良い所がない。やっぱり何かあったときに実家の岐阜市に帰れる場所が良いし・・・。そんなときに友人の別荘に行ったときの想い出を頼りに恵那でも探してみようか?という感じで探してみたら、恵那市の山岡町の原という場所に、ちょうど市営住宅の空きがありまして・・・。実際に行ってみたら、木があってキャンプ場のような感覚の場所だったんです。僕のイメージに合致しましたね。まずはそこに住みながら、また環境の良い所や畑や田んぼがある所を探そうと思いまして、2000年ごろ、家族で恵那への移住を決定しました。

移住実践者の声 山口 岳志さん(山岡町)3

 

(Q)恵那に住んでみてどうですか?

 

(A)やはり最初は大変でした。恵那に引っ越してきたその当時は、純粋な他の地域からの移住者もほとんどいなくて、今でこそ当たり前の言葉ですが、”移住定住”とか”田舎暮らし”とかいう概念はほとんど無かったんです。山岡の方々も「どうやって接したら良いか?」分からなかったようにも感じます。最初に住んだのが市営住宅でして・・ここはある意味、多種多様な人々、さまざまな職種、年齢層の方々の”るつぼ”といいましょうか? 住民同士、みんないつの間にか?共同体意識が強くなりまして、ガレージでバーベキューなんかして、非常に入り込みやすい雰囲気でしたね。都会に居るときとは違って人間の温かさに触れました。ある時、市営住宅の住人で知り合いのフィリピンから来た方が肺炎になってしまって、救急車を呼んで付き添ってあげたら、すごく感謝されまして・・・(笑)。恵那市にいるフィリピン人の方々のコミュニティーにもすごく感謝されて、受け入れてもらえました(笑)。なんか温かいなぁと(笑)。人と人とのつながりに共感しましたね。それ以外にも、市営住宅に住んでいた身寄りの無い方が亡くなったときも、そんなに知り合いでもないのに葬式から火葬まで・・近所の人でみんなでお世話をして、もうビックリしましたね。感動しました。赤の他人がそこまでするか?と思って(笑)。

 

仕事面での話をすると、田舎暮らしを始めてから収入は10分の1になりましたし、現実、田舎暮らしといってもお金はかかりますから、まずは車にペンキや絵の具を積んでお店や建物に絵を描く仕事を自分で始めました。最初は恵那市内には仕事がないので岐阜、名古屋、四日市、東京や北海道にまで出稼ぎアーティストしてましたね(笑)。そうこうしているうちに、人の伝手で、山岡町にある空き屋(一軒家)を紹介していただきました。田んぼも畑も付いて15,000円という格安で借りられることになって、2004年ごろに市営住宅から同じ山岡町のその物件に引っ越しました。

 

そして山岡での生活もだんだん軌道に乗ってきて数年たった頃に、地域の活動にも参加するように声を掛けられたんです。当時は移住者で地域の会議やまちづくりそのものに参加する人なんて誰もいなくて、さらに若い人もいなくて・・・・最初は摩擦が起きましたね。会議で何を言っても否定されましたし(笑)。でも積極的に参加して根気よく発言していくことによって、僕を応援してくれる理解者も少しずつ増えていきました。最初は誰も知っている人がいなかったところから始まって、今はすごく多くの人と知り合えて、応援してくれたり、信頼をしてくれたりするようになりました。ほんとうれしいです。仕事もそれまでは出稼ぎだったのが、地域の活動に参加するようになって、その知り合いからの紹介で山岡町にある道の駅 「おばあちゃん市・山岡」の立ち上げに関わることになりました。最初はロゴマークも看板もなくて・・後々、僕がそのブランディングとデザインを担当させていただくことになりました。そして、そのおばあちゃん市での仕事がきっかけで山岡町での仕事もだんだん増えてきました。それ以外にも近所の人が野菜を家に持ってきてくれたり。最初、一軒家は五右衛門風呂だったので、見かねた近所の人が改修が終わるまでお風呂を貸してくれたり、子どもたちにお菓子までくれたり、ほんとありがたかったですね。今まで皆さんに貰った野菜やお米の量を換算するとスゴい量になりますよ(笑)。

移住実践者の声 山口 岳志さん(山岡町)4(Q)恵那でこれからどんな生活を送りたいですか?

 

(A)元々、循環型のエコな暮らし=LOHAS(ロハス)な生き方に興味があったんです。これからもこの山岡の地で自然と調和した生き方をしながら、人と助け合って、自分らしい個性的な生き方をしていきたいなぁと思ってます。人のために役に立てる生き方こそ、自分にとって幸せなんじゃないかなぁ・・・と。でも、それだけではなく自分のライフワーク=アーティストとしての活動も、もっと前面に出していきたいですね。東京で暮らしていた頃の一番の収穫は”一番必要なものは心の中にある!”と気が付いたことですね。心の内面の活動、そして表現者としての活動を表に出していきたいなぁと思っています。毎日、寝ないで懸命に働いて仕事してお金稼いで消費するという体験をして、「ものでは幸せにはなれない!」と感じました。じゃ、何で苦しんでいるのか?・・・・・みんなで心を縛り合うんじゃなくて、愛の喜び、安らぎをアーティストとして表現しながら、この自分自身が満足している素晴らしい生き方を人々に伝えていけたらいいですね!

移住実践者の声 山口 岳志さん(山岡町)5

 

(Q)最後に恵那に興味のある方々に一言

 

(A)人生の本気の開拓者=フロンティア!恵那に集まれ!一緒に未来を作りましょう!

 

移住実践者の声 山口 岳志さん(山岡町)6

写真は山口さんのオフィス。恵那市の空き家バンクを利用して探した恵那で3軒目の自宅兼オフィスとなる。現在は奥様と二人暮らしプラス猫のゆきちゃん。名古屋で生活する社会人と大学生の娘さん二人がたまに里帰りしている。

 

以下、現在、山口さんが恵那市で行われている活動をご紹介します。

 

壁画やイラスト絵画制作はもちろん印刷物や看板のデザイン制作まで幅広く行う。山口さんは恵那市内の沢山のお店や施設に壁画を描いて、アートで町に夢や癒やしの空間を広げている。

 

その昔、天明の大飢饉(ききん)の時に、このお湯によって多くの人が癒され命を救われ、寛政3年に感謝を込めてお薬師様が祭られたという伝説の温泉。山口さんは平成21年の再建の際にデザインや壁画の制作を縁にして経営者の一人に加わる。

 

平成25年から間伐材を集め「モリ券」=地域貨幣と交換、花白温泉の薪ボイラーにより「エネルギーの地産地消」を進めている。

 

山口さんが立ち上げとデザインで関わった 「おかえり!」と故郷のようにむかえてくれる道の駅 「おばあちゃん市・山岡」。

 

山岡町の各種イベントやまちづくり事業など年間を通して実施している団体。山口さんは交流定住環境づくり事業委員会(委員長)として、空き家対策と移住者の受け入れやお世話をしている。

山岡町ってどこぉ~~~?

多くの山に囲まれ、

朝晩の寒暖の差が大きいことから寒天の生産で有名

山岡町は、恵那市の中西部に位置し、北に三郷町と南に明智町の間の町です。冬は晴れた日が比較的多く、朝晩の寒暖の差が大きいことから細寒天が有名です。寒天ラーメンや、クールスカイなどはお土産やお使い物として重宝されています。寒天干しは冬の山岡の風物詩です。また、もう一つの冬の風物詩として挙げられるのが、平安時代初期の創立と伝えられるお寺萬勝寺です。

 

【細寒天】

  山岡町の特産品は何といっても「天然細寒天」。良質な天然細寒天は元来、和菓子の原料としてその90パーセントが使われてきました。寒天は体にとってもよく、食物繊維が豊富で低カロリー。このごろ体の調子が気になる方、美容と健康に努力している方、ダイエットに挑戦したい方。ぜひご覧いただき、生活に取り入れてみてください。