明知城発掘の成果 御殿を建て遠山氏が住んでいたことが判明

更新日:2024年12月26日

明知城の礎石を説明

明知城跡で初めて行われた発掘調査の本年度分が終わり、築城が16世紀だったこと、関ヶ原の合戦後に大改修され御殿が建てられていたことなどが分かりました。

調査は11月から12月にかけて本丸と出丸で行われ、表面から30~50センチの深さまで掘って、地層の状況や出土品などを調べました。

その結果、天然の地層の上に人為的に盛られた層があったことが確認され、その層から出土した磁器や陶器などの年代から、初めて城が造られたのが16世紀中頃と判明。さらに、その層の上にも盛土した跡があることや、柱の基礎を置くための礎石が出土したことから、後の時代には、ここに御殿が建てられたこともわかりました。

礎石を説明する

(上に御殿の柱が建てられていたと見られる礎石)

御殿は、陶器などの出土品から17世紀初めに建てられたと推測され、歴史的事実と合わせると、関ヶ原の合戦後に遠山氏が本丸を大改修して建てたと考えられます。

文化課で今回の調査を担当した塚本恵伍さんは「関ヶ原の合戦が終わっても、まだ戦乱が続くかもしれないと当時の人々が考えたため、敵から防御するための城、殿様が居住するための御殿を築いたのではないか」と推察しました。

石が集まった集積遺跡

(祭礼に利用されたと見られる集積遺跡)

さらに、本丸からは祭礼に使われたと思われる石の集まりも出土し、本丸の場所は御殿として使われた後、祭礼に利用されていたことがわかりました。

これまで、明知城の領主である明知遠山氏は、城を持つことが許されなくなった江戸時代には、ふもとに居住地を構えていたと考えられてきました。しかし、今回の発掘で、本丸に住んだ後、ふもとに移ったことが明らかになりました。

滋賀県立大学名誉教授で市明知城跡調査検討委員会委員長の中井均氏は「近世初頭の在地領主の居城の歴史的変遷をうかがうことができる稀有な遺跡といえる」とコメントしました。

市では本年度から4年計画で明知城跡総合調査事業を行うこととしており、国史跡指定を目指し、今後さらに本丸や出丸の役割なども詳しく調べていく予定です。

現地説明会

一般の方に向けた現地説明会が、以下の通り予定されています。

  • 日時 1月11日(土曜日)午後1時30分(少雨決行)
  • 場所 明知城本丸
  • 駐車場 大正ロマン館駐車場(旧明智保育園)
  • 内容 担当者による説明、現場公開
  • 申し込み 不要

雨天中止の場合

雨天などで中止の場合は、1月13日(月曜日)午後1時30分に開催します。

中止の連絡は、1月11日(土曜日)午前10時までに、以下のページでお知らせします。

発掘現場

明知城について

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